essay
NAKAYAMA DAISUKE

中山大輔 エッセイ | フリーペーパー push online
no.01
[new]

建築家というと多才であったり、ある種の激しさを伴った芸術的感覚が必要であると思われるが、
私にはその様なものはほとんどなく、口は少々立つが文才は壊滅的にない。

(坂内さんにエッセイを書いてと依頼があった時に断ろうと思ったが、
色々と断り続けて借りもあると思ってしまったので引き受けてしまったことを、今更ながら後悔している。)

では建築的な発想はどこから来るのか。

私は建築とは自分の内面そのものが映し出される自己表現だと考えている。
自分が美しいと思うこと、心地よいと思うこと、自然と向き合った時の直感・・・・
誰かの模倣ではなく、自分の感覚を研ぎ澄まして行くこと。
自己表現というと利己的で独善的だと思われるかもしれないが、まったくその通りだ。
だからこそ、“自分ならどうか”と問い続け自分自身に向き合い続けることが、
住まいを通じて出会った人達に自分らしい豊かさを見つけてもらうことに繋がると信じている。

そんな自分に必要なのは“旅”である。

旅をしていると、私が生きて行く上で大切なものたちが時に激しく、
時に優しい水のように心の中に満ちて行く感覚を得られることがある。

ある時、スイスの片田舎の町から1日に4本しかない電車に揺られ、
さらに山の中を歩いた先の目的地を目指す途中、さすがに疲労がピークに達し、途中で動けなくなってしまった。
途方に暮れていると、運良く1台のトラックが通り地元の農夫婦が声をかけてくれた。
ロマンシュ語を話す彼らは、私の片言の英語とジェスチャーで察してくれたのか荷台に乗せてくれ、
小さな村の教会まで連れていってくれたのだった。

その教会は、なんとも言えない静かな威厳を保ちながら私を迎えてくれた。
100年前も、そして100年後も変わらずそこにあり続けるであろう、その佇まい。
その姿を眺めていると、探しているものは自分自身の中にあって、
このまま行きなさいと背中をそっと押されるような感覚にあった。

優しい水で心が満たされて行くのと同時に、私の胸の中に水を満たす器があるのだと改めて気づかされる。
旅は新しい発見だけではない。
自分の中に隠れてしまっている、とても大切なものに気づかせてくれる。

旅の先にはいつもそんな発見と楽しみがある。

PUSH - Supporter

Supporter  List